日々の記録。

2015年1月生まれ長女、2018年7月生まれ次女の姉妹育児中。WMの現在育休中。

生後334日目 11ヶ月になりました

昨日、娘ちゃんは無事、11ヶ月を迎えました。  

最初の3ヶ月間はほんとにほんとに辛くて、1日1日が長くて。
4か月過ぎたあたりから、すこーしだけ余裕が出てきたかな。
6か月過ぎてからはあっという間だった気がする。
そして、保育園に預け出し、復職してからは、もう掛け向けるように日々が過ぎていった。瞬殺ってかんじ。

そんなだから、あーっという間に1歳を迎えてしまうに違いない。なんだか、勿体無いような、うれしいような、さみしいような。

10ヶ月の1ヶ月間における娘の成長は著しく。
離乳食をもりもり食べるようになった。
ずり這いで前にずんずん進めるようになった。
正確には、ずり這いではないかな。いざり?座った姿勢のまま、でも手は床についてずりずりっと前に進む。うつ伏せさせるとずり這いもするんだけど、座ったまま移動の方が好きみたい。
座ったままなのだけど、足だけで移動するのではなく、どちらかというと手の力を使って前に移動してるから、なんだか面白い。
はいはいをちゃんとしないと、転んだ時に手の出ない子になる、なんてよく聞くけれど、この座ったまま手をついて前に進むスタイルだとどうなんだろ?

指差しもはじまりました。
「あ」「あ」と言っては、色んなものを指差してる。

おもちゃを持っている娘に「ちょーだい」というと、こちらに差し出してもくれる。

気づけば、ものすごく成長している。


保育園に行くようになって、初めてはいはい、とか、初めて歩いた、とか、初めてしゃべった、とか、そういうものを目にできないかもしれないということに、親としてどーなんどろ?とも思ったりしたけれど、よく考えればそれって結構親の自己満足にすぎない気もして。だって、初めて歩いた時に親が見てくれてたかどうかなんて私自身覚えていないし。
たとえ、初めての瞬間が見られなかったとしても、できるようになったら、できたねすごいねって保育士さんと一緒に喜んであげられれば、それで全く問題ないし、いいんだと思っている。

保育園に預けて、仕事復帰したことは、私にとってはとても良かった。良い判断だった。
1日中娘と過ごす間は、今日1日何をして時間を潰そう、、という思考にどうしてもなってしまって、なんなら毎日毎日一日中外出して帰ってからはテレビ見せて終わる、となりがちで、それでも1人の時間が持てないことにイライラもし、娘とちゃんと向き合って遊んだりしてあげてないんじゃないかと罪悪感もあったり。
でも、今では、仕事とはいえ自分の思い通りに動ける時間があり、その間娘は保育園でいっぱい遊んでもらっているし、日中離れていた分、帰ってからは穏やかな優しい気持ちで娘と対峙できるのだ。

離乳食も。これだけ食べない期間が長かった娘。1人で朝昼晩あげていたらと思うとぞっとする。早々に発狂していた自信がある。けれど、どんなに食べなくとも、お昼は保育園でちゃんとしたものを食べさせようとしてもらえている、ということが私の心の支えになった。保育園でも食べないなら、私のご飯がまずいからとか食べさせ方が悪いからとかじゃないよね、とある意味安心材料にもなった。


私が仕事復帰して、娘も11ヶ月になって、今年はもうすぐ終わっていく。
あっという間の一年だったなぁ。濃密ないままで経験したことのないことの連続な一年だった。
大人になってずいぶん経つので、全く予想もつかない初体験の連続ってのは、なかなか子を産むことくらいしかないんじゃないかと思う。
こんなにパニックになったのも、鬱々としたのも、楽しかったのも、でもやっぱりしんどかったのも。初めての経験にとまどい、緊張し、どきどきし、喜び、心配して不安になって、うれしかったり楽しかったり。子どもの頃はそんなことの連続だったに違いないのだけれど、そんな感情は忘れていたことを思い出した一年だった。
娘にとっては。この一年も、これから先のしばらくの間は、そんな感情の揺れ動きの連続になるに違いない。わくわくするね、どきどきするね、不安だね、楽しいね。そんな気持ちを思い出せて、娘に想いを馳せれた一年だった。